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健全に健康に人間やっていくうえで、衣服はできるだけ毎日着替えたいもの。
着替えたら、クリーニングなり、じぶんで洗濯なりが必須。
クリーニングや洗濯をしなくても、ブラッシングして風をとおしたりとか。

普通の庶民は、これをすべて自分でやらねばならないのです。
親がやってくれるのは、小学生までが限度かと。

中学生になったら、徐々にでも自分で管理・メンテナンスできるように訓練しないと、大人になってぶっつけ本番でやっても、知識も経験もノウハウも無いので、身につけて覚えるまでに、無駄金をつかって汚部屋をつくる原因になりかねないのです。
とくにオシャレ大好きなお嬢さんだと、この衣服のメンテナンスを、きっちりと訓練しておかないと……。

私は料理については、それほど苦にならないのです。
そりゃあ、毎日、ルンルン気分(古っ!)で楽しくお料理ってなわけにはいきませんが、それでも家事の中では、料理することにそれほど抵抗はないです。
あと、ひとつはお風呂掃除w

逆に弱点は、洗濯から始まる衣類のメンテナンス&管理と、お掃除……。
やってるけど、実にめんどくさいと思う。

毎日ブログを書いているから、とてもマメな人間だと思われているけど、これは大間違い!
とんでも勘違いですw
はっきり言って、ズボラでものぐさですw
ブログの更新は、これはブログを始めるにあたっての課題の1つだったのです。
マメな性格でもなんでもない、単なる「自分改善への掟」です。
そのへんはまあ、いずれ何かの機会があったら……w

なんで、家事のうち料理はOKで、それ以外が「あ゛~」状態なのかというのを考えてみると、好き嫌いという部分が一番大きいです。
料理というのは、それなりにでも、何かを「作る」要素があります。
逆に掃除とか洗濯とか片付けとかは、「作る」要素が限りなく低い。
最近では、ようやく意識を切り替えて、掃除や洗濯、片付けは「キレイな家を作る」のだと思えるようになってきたのですけど、それに至るまでが……(苦笑

好き嫌いというものも、よく考えてみると、いくつかの条件があります。

1 無条件に感覚的に理屈じゃなくて好きというもの。
2 ほかに比べて、「出来る(結果が出しやすい)」から好きというもの。

この2つに大別されるんではないかなと思います。

逆に、嫌い・苦手・めんどくさいという理由は

1 とにかく理屈ぬきで生理的に嫌い
2 やったことがない、やり方がわからないので、上手く出来ない(結果が出せない)
3 自分の中でやることの優先度が限りなく低い

こんな感じでしょうか。

つらつらと考えてみると、自分が料理だけはなんとかOKな理由というのは、実は子供の頃にあるのではないかなあと、ぼんやりと思ったりします。
初料理は、小学校の3年生くらいだったと思います。
たぶん、農繁期で学校から帰っても誰もいないし、空腹だけど何もなくて、仕方なく残りご飯でおにぎりを作って食べたのが始まりかもw
これを料理というかどうかはおいといて、作らなければ食べられないという直接的な体験が、以後の生活にものを言ったのは確かです。

本格的に料理をするようになったのは、小学校5年生くらいだったかな。
これも発端は、農作業で遅くまで親が戻ってこないので、空腹に耐えかねて、家庭科で習った味噌汁とほうれん草のおひたしのようなものを作ったのです。
そしたら、帰宅した母親がものすごく喜んでくれたのです。

農作業でくたくたになって帰宅して、さらに夕食や風呂の支度や洗濯物の処理です。
いまの自分なら、それがどれほど辛いかよくわかります。
舅姑、夫、子供といて、手抜きなインスタント食品などなかった時代です。
たかが味噌汁とおひたし1品でも作ってあったのは、大助かりだったことでしょう。

喜んでくれるのが励みになって、それから夕食の支度をするようになってきました。
そうなると、母親も料理を教えてくれますし、忙しいときには食費も渡されて、献立、買い物、食費のやりくりまでできるようになりました。

ものすごく偉そうな話ですが、実際にはたった7~8年間だけのことです。
もちろん、子供がすることですから、母親がやっていたようなちゃんとした料理ができるわけではありませんし、失敗作も数知れずw

料理の腕前うんぬんよりも、大事なのは「料理をすることに抵抗がない」ほどに慣れていったということでしょうか。

逆に掃除とか洗濯については、ほとんどやってこなかったのです。
洗濯は、どうしても私が家にいない時間になりますし、掃除もそうです。

衣類はキレイにするためには洗濯するというのは理屈では理解していても、無意識のうちに「小人さん(この場合は母親)」がしてくれるものとして、ちゃんと覚えよう、やろうという意識がなかったのです。
掃除もしかり。

大人になって独り立ちして、洗濯・衣類の管理と掃除には、まったく慣れていないし、知識も技術もないのです。

そもそもに、家事に知識や技術があるという認識すらなかったという、バカな大人になっていましたw

一人暮らしを始めた頃のお洗濯ときたら……。
衣類に関する知識も技術もなかったので、色落ちするものと白いものを一緒にして、「望まぬ染め物」状態になったり。
洗い方が間違っていたので、ほとんど新品だったのにヨレヨレのヘレヘレで泣く泣く捨てたとか。

高かったセーターが一発で縮んで、たった一回着ただけで捨てるしかなくなったり。

あるいは、衣替えで前シーズンにしまい込んだものを出してみたら、虫食い、シミ、カビで、愕然となったり……。

自分で自分のお金が、好きなように使える自由さに目がくらんで、欲しいという欲望だけで衣服がどんどん増えていきました。
もともと管理・メンテナンスが苦手なのに、量が増えるから、さらにうまく回らなくなっていきます。
収納しきれないほど量があるのに、整理整頓してないから、着る物が無いような錯覚に陥って、また買ってきて増やす。
増えたら増えただけ、管理の手間が増えるという負のスパイラルです。
恥さらしですが、こんなふうにさんざんな体験を積み重ねてきました。

大人になって、ちゃんとした結果がだせなかった物事というのは、どうしても自然と「苦手」意識がつきやすいようです。
逆に、最初にそれなりの成果が出せたものは、「割と得意かも」「「好きかも」となりやすいです。

変な話ですが、パチンコとかギャンブルもので、初めて体験したときに「当たり」が出ると、そこからはまるみたいです。
最初に当たらなかった人は、「つまんない」と見向きもしなくなります。

家事や生活技術は、「慣れ」という経験値が必要なものです。
大人になって「出来てあたりまえ」の年齢になってから始めても、よほどのことが無い限り「誰も褒めてくれない」し、結果が出せるようになるまでに「嫌気がさして」やる気がなくなってきます。

また、大人のほうが、「出来ない」ことへの、精神的なダメージと忌避感が強まります。
自分がそうだったから……。

中学生くらいから、料理と一緒に洗濯や掃除、衣類管理について訓練していたら、今はもうちょっとマシだったかも?! とか。


まあ、今更どう言ってみても、「if」な妄想でしかないのですが……w




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