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「断捨離」がブームな感じですね。
雑誌やTVでもよく拝見するようになりました。

雑誌やTVなどで、一番大きく鮮明に打ち出されているのは、「断捨離」のうちの「捨」の部分のみのような気がします。
それも、単純に言ってしまえば、「モノを捨てる」だけのような扱いの紹介が多く感じます。

捨てるというか、持ち物をきちんと選別して、大事なものを選んでいくと、どうしても「それ以外のもの」をどうするかが問題になって、一番簡単な方法が「捨てる」ことなんでしょうね。

でも、断捨離でもっと大事なのは、「断」と「離」だと思うのです。
日々の暮らしの中で、いろんなモノが家に入ってきます。
それこそ、自分が買ったものもありますし、それについてきたオマケとかもあります。
保険や貯金の更新で持ってこられたものもあります。
出先のお店でのちょっとした販促プレゼントだったり、あるいは道を歩いているときのチラシとポケットティッシュなどだったり。

街頭でビラ配りをしている方の苦労を思うと、なかなかその場でいりませんと拒否しにくいものです。
最近ではようやく、「ごめんなさい。」と受け取らないように出来るようになりましたが、母親は無理らしくて、一緒に出かけるといつもなにかしら手にすることにw
しかもそれは最初から要らないものだという意識があるので、ついつい私の車の中に放置されたり……。

こういうものはまだ明確に、要る・要らないが分かっているので良いのですが、一番良くないなあと思ったのが「自分で買ってくるもの」の中にあります。
最近では、いろいろと考えることもあって、金銭的な余裕以前に「欲しいだけでは買わない」ということが実践できるようになりました。

母親を初めて100円ショップに連れて行った時、もう山盛り買っていました。
「安いし。」
そうだけど……そんなに必要ないでしょう?

ものによっては、100円ショップもので十分ですが、それでは駄目なモノもあります。
耐久性とか機能性とか、好みの部分とかが求められるものには、100円のものは、やっぱりちょっと足りないのです。
そうして、我が家にはほぼ新品の、買ったけど使ってみたらちょっと足りなくて使わなくなったものが溢れることに……orz

これも最初にもっときちんと見極めて考えて買えばよかったと反省の種になってしまいました。
安易に「欲しい」だけで買わない・貰わないというのは、とても大事なことだと思い知りました。
こういう部分は、断捨離の「断」の部分ですよね……w

断捨離の「離」については、ものへの執着から離れるというふうな説明がありましたが、これはモノだけに限らず、もっと広範囲に応用できるんじゃないかなと思います。

最近、朝型生活に切り換え試験中なのですが、今までずーーっと夜更かしは良くないとは頭で分かっていました。
正論なんだけど、出来ないというか、積極的に実行しようという気に今ひとつなれなかったのです。
まあ、個人的にはかなりせっぱ詰まった事情もあって、実践せざるを得ないようになってしまったのですが……w
やってみたら、案外にそれなりに出来るようになりました。

で、なぜ夜更かしは良くないと分かっていながら出来なかったのか。
いろいろと振り返って考えてみると、浮かんだのが「惜しいから」でした。

寝てしまったら明日になる。
今日が終わるのが惜しいから。

いや、特別にもの凄く良い日だとか、永久に今日のままでいてほしいとかいうほど感動的な日ではないのですよw
でも、なんというか、1日が終わることを拒否しているような部分に気付いてしまいました。
締め切り前のどっかの作家さんみたいですねw

それと、やっぱり「変える・変わる」という部分への抵抗もありました。
いまなんとか動いている現状でもいいじゃないの、という未練のようなものでしょうか。

こういう部分も、一種の執着と言えるのではないでしょうか。
ものへの執着とは違って、自分のこういう部分への執着は、自覚しにくいだけに難しい。

断捨離の「断」と「離」は、人のメンタルな内面の整理整頓が必要なだけに、雑誌やTVなどの「視覚」を主体にしたメディアでは、取り上げにくいのかもしれないですね。
そうして、「断捨離って捨てることだよね。」という、間違いではないけど正しくない理解のされ方がひろまりそうですね。

メディアに取り上げられるというのも、善し悪しのように思いました。






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