上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
仕事をしていて、最近特に気になるのが、「ら抜き言葉」の進化と浸透状況。

小学生の作文でも、最近は個性の尊重なのか、ら抜き言葉な文語を訂正されることがなくなりました。
ら抜き言葉という現象が指摘されはじめてから、しばらくたっていますので、当然に社会人にもら抜き言葉な書類が……。

最近、とみに目立っているのが
「知れる」
「見れる」
「考えれる」
この3つでしょうか。

小中学生あたりですと、さらに
「食べれる」…使用例:おいしいものが食べれてよかったです。
「読めれる……使用例:すらすらと読めれてうれしかったです。
「夜ごはん」……使用例:夜ごはんは、カレーでした。

「夜ごはん」は、ら抜き言葉ではないですが、目立ちます。
辞書を引きますと、「夜ごはん」というのは、あります。ただ、その意味は「夜食」という意味のようです。この場合は、大方は「夕ご飯」「晩ご飯」の意味で使われているので、微妙な心地がします。

言葉は時代によって、変化していく生き物だとは思いますが、「ら抜き言葉」というのは、とても微妙な気がします。
正しいとか誤りとかという意味で微妙なのではなくて、「ら抜き言葉」というのは自他の意識の部分をどこか曖昧にしていくような気がします。

「知れる」というのは、一番多い使い方は、
「○○について知れてよかったです。」(○○について知ることができてよかったです。)
「○○を知れました。」(○○を知りました。○○を知ることができました。)

言葉というものは、「言霊」という日本古来から言われているように、不思議な効果があります。
別にオカルトでもなんでもない。
自分の気持ちをアクティブにするための、誰もが知っている基本的な手法が、言葉だからw

なんとなく、こういうふうに、自他を曖昧にした「ら抜き言葉」を当たり前として使い続けるのは、微妙な気がします。

小学生の英語教育も大事ですが、他国の言語を学ぶためにも、自分の国の国語というものも、もう少し大事に教育すべきではないかと思ったりします。
年々、作文のレベルが目に見えて低下しています。




Secret

TrackBackURL
→http://tumbleweed1000.blog36.fc2.com/tb.php/582-372f20fb

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。