上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
すずらん-01

海棠の花の下で、今年一番最初のスズランの花

今年は、年明けからご近所で葬儀が相次いだ。
その中の1軒は、娘さん夫婦が都会から早期退職で帰郷し、敷地内に家を建てて別居二世帯暮らしだった。
老後は子供達が見てくれるからと期待して、年金は最後の数年(強制になった頃)しか払っていないので、生活できるだけの年金はもらえないので、娘さん夫婦が実質養っているのだけど、実権は手放さないという田舎の老親によくある状態だった。

そこのおばあさんが亡くなった後、娘さん夫婦が頭を抱えてしまったのが、二階建て(納屋付き)のそれなりの家中に隙間無く詰め込まれていたモノの後始末。
捨てることなどあり得ない 罰が当たる という強固な意志の持ち主だったので、それこそ50年前の新聞まであるというw

業者に見積もりをしてもらったら、軽く400万くらいになったらしい。
納屋の二階には、先々代の使っていた布団などもあるとか……。
トラックが家のそばまで入れないので、坂道あり・階段ありの200mほどは人力搬送なので、よけいに見積金額があがったという話。

最後の十数年を、ほぼ丸々養って、介護して、遺産どころか後始末でほとんど持ち出しになるという事態に、旦那さんの手前もあって頭が痛いどころか病みそうだと愚痴っていた。
まさに、親の因果が子に報う ということわざそのまんまだね……って苦笑いしていた。

ものを惜しむ、使えるものを大事にするというのは間違ってはいない。
ただし、いつ、何にそれを使うのか、期限・用途・必要量が明確である ことが大前提だと思う。
使う目的に必要な量をオーバーしてしまうと、それはただの不要品にクラスチェンジしてしまう。

「持つ」ことが生活の豊かさのバロメーターであった時代は終わったと思う。
「持たない」ことが良いことだとは言いにくいけど、現在では、「持つ」ことは相応のデメリットを覚悟しないといけないのかもしれない。
今の自分の生活にとって「絶対に必要な物と量」を見極めることが、片付けの一番の基準点になるのではないかと思うようになってきた。
もちろん、「絶対に必要なもの」だけでは、生活が楽しくないので、多少のお楽しみものとか余裕が欲しい。
なかなかに贅沢なワガママですw

ここ数年の片付けバトルで、行き着いたことの一つとして 

捨てるのが惜しいのなら使え!

ということに尽きる。

負の遺産というと、普通は借金とか負債とかの遺産だけど、こういう片付けに大金が必要な遺産も一種の負の遺産だよね……。






Secret


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。