【報道記者に怒り】京都・小学生死傷事故で救命救急センターが怒りの声「マスコミの人間に心はあるのか」

痛ましい交通事故のニュースの裏での出来事のようです。

マスコミの方も、それが仕事と言ってしまえばそれまででしょうね。
だけど、最近、とみに思うのですが、「人権擁護」という言葉と活動が顕著になってきてから、マスコミの報道で、加害者側への人権(?)配慮は異常なほど気遣うようになった反面、被害者サイドには「人権・プライバシー」への配慮がほとんどされないのは何故なんだろうと……。

まあ、酷いことを言ってしまえば、加害者が「容疑者の男性」、被害者が「被害者のAさん」では、報道として成り立たないというのはあるのでしょうね。

昔、まだ中学生の頃でした。
ある、冬の真夜中、ご近所が火事になり、それこそ集落総出で大人も子どもも、持てるバケツや鍋まで持って、そのへんに積もっている雪を掻きいれて消火のお手伝いをしたことがありました。
そのときに、消防車よりも速く、新聞記者だかなんだかの人がやってきて、必死で消火しようとしている私たちや火事の様子を撮影していました。
手伝うことなく、ただひたすら写真を撮っているその様子に、当然のことに大人のおじさんたちから怒号が浴びせられていました。
幸いなことに、火事になった家の人たちは無事でしたが、家屋は全焼でした。

人が困っている時に、手助けもせずに、ただ写真を撮りまくっていた記者の人に、釈然としないものを感じながらの帰宅途中に、父親が
「人の不幸が飯のタネだものな!」
吐き捨てるように言っていたのが、中学生という微妙な年齢なのもあって印象に残っています。

そして、上記の話をみて、「ああ、やっぱり……」と。

報道という仕事は、社会にとって大切な仕事だと思います。
それにも裏と表、光と影がある。
報道の自由は保障されていますが、取材に何をしてもいいということではないと思うのですが……。


Secret