2011.12.07 【日常】窮鼠
年末になると世上が、いろいろと騒がしい。
近頃、ご近所もいろいろと騒がしいのです。

夕食後のひととき、居間のこたつで、猫をなでなで、みかんを剥いてお茶を飲みながらの世間話の主題は、最近のご近所トラブルなお話。
大いなる幸いなことに、我が家はこのトラブルでは、単なる観客でしかない。

元々は、A家の過失から始まったのだが、A家からB家へ補償がなされたので、事は一応の収まりが付いたはずでしたが、B家のおばあさんが収まらなかった。
感情にまかせての行動で、大勢の関係のない人たちがいる前で、名指しでの非難口撃。
周囲も風向きに気をつけていないと、巻き込まれかねないという状況。

「亡くなった爺さんが言うとったけど、どんだけ悪い奴でも、最後まで追い詰めるでないいうて」
「窮鼠猫を噛む?」
「うん、そんなもんだけど、逃げ道がないほど最後まで追い詰めたら、どんだけ悪い奴でも、世間いうもんは、元の起こりよりも追い詰めた方が悪者になるんじゃと」
「へー、追い詰めたら、弱いものでも思いがけない反撃で痛い目に遭うかもしれないからやめとけって意味かと思っていた」
「普通はそういう意味じゃろうけど、本気に怖いのんは、世間じゃと爺さんがな」

なるほどねえ…と聞いていた。
確かに、元の原因はA家にあるとはいえ、補償を受け入れて和解した形に受けたのに、B家のおばあさんの感情にまかせた行動は、ひそやかな顰蹙を買っている。
つまりは、やりすぎということ。

世の中というのは、不思議なもので、どれほど凶悪で悲惨な犯罪の加害者であっても、必ず同情する人や、弁護する人がいるものだが、そういうふうに考えれば、納得がいくかも…。

物事の是非というのは、どこまでも正しい・正しくないと突き詰めてもよろしくないのかもしれない。
相手の非を言い立てて、追い詰めるようなやり方をしていると、人との付き合いに支障が出るというのは、私自身でも今までの経験から実感できる。
きっと祖父も、長い人生の間に、なにかそういう言葉が出てくるような、苦い体験でもあったのかもしれない。

難しいものだなあと、思いつつ最後の1個のみかんが、すっぱかったので妙に複雑な気分……。



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